人は、「こういう事実があった、ああいう事実あった」と語るが、これは間違いである。
人は、事実を認識することはない。
あなたの前に石ころがある。あなたはそれを見る。あなたは石がある事実を確認したと思うか?
それは違う。あなたは、「石」と思われる物質に反射した光を、目玉の網膜をとして脳内にそのイメージを映像化しただけである。
それが自分にとって無益なものなら「単なる石ころ」と意味付けし、記憶から消されるかもしれない。
しかし、認識した石ころがピカピカ光ってダイヤモンドだとしたら、あなたは驚くし、手に取ってしまうかもしれない。
どちらにしても、あなたの行動を決めているものは脳内の認識に過ぎない。そうなのだ、あなたはあなた以外の世界をすべてあなたの主観で意味付けしているのだ。
つまり、あなたの見ている(認識している)世界というのは、あなたの意味付けでしかない。
あなたは非常に乱暴な認識でこの世界を生きているのである。あなたの認識(意味付け)は貴方の立場が変わればガラリの変わる。あなたはそんな不安定なものを基盤として生きているのである。
「良いも、悪くもない」というが、その根拠となるのがこれである。各個人の意味付けが有効なのは、意味受けした本人だけである。他の人には、無意味かまたは参考程度である。
目の前に展開される世界は自分が作った「虚構」であると認識すれば、物事に対して冷静に対処できるのではないかと思う。